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誰のためのリーダーシップか

誰のためのリーダーシップか

<a href=小野寺 慎平" width="104" height="104">

大学卒業後、(株)シェイクに入社。企業の人材育成や組織開発のコンサルティングを行う。2018年1月(株)NEWONEに参画。商品開発・マーケティング、組織開発、研修のファシリテーターなどで活動する傍ら、「仕事そのものが面白いと思う20代を増やす」をテーマに20代向けの能力開発の新規事業を立ち上げる。

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新卒で入社した会社で先輩に俺のバイブル、と言ってリーダーシップで一番大切なこと(酒井穣)を勧められました。

特に以下の一行が印象に残っています。

自分のリーダーシップを必要としているのはどこかの誰かではなくて、たった一度の人生を自分の価値観に従って生き抜こうとする「自分自身」

リーダーシップの本質とは何か

巷には多くのリーダーシップ開発に関する本がありますが、そのほとんどがリーダーシップとは他者への影響力の行使と定義しています。

その中で本書ではリーダーシップにフォロワー(他者)の存在は実は関係ないと書かれています。

なぜなら歴史上の人物である、坂本龍馬も吉田松陰も、求められて行動したというよりは、自らの価値観に沿って行動し、その結果として、英雄視されるようになったのであって、その時点でのフォロワーの有無は関係ないからです。

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自分自身がリーダーシップを必要とする理由

ではなぜ、自分自身がリーダーシップを必要としているのか。

それは生きている意味なんてないからだと本書では書かれています。

生きている意味がない、つまり言い換えると完全に自由ということです。

それは上も下もない、宇宙空間に浮かんでいるようなもので、自分なんていてもいなくても良いということを認めることにつながり、多くの人が苦痛を感じます。

だからこそ足場を欲するわけですが、この足場こそ自由を規制するものであり、価値観です。

そしてこの価値観は、良い大学にいくべき、マイホームを買うべきといった社会によって教育される外発的価値観と自らの基本的情動に沿った内発的価値観の2つがあります。

基本的情動とは、喜びや悲しみなどもって生まれた感情のことですが、これが外発的な価値観によって、ゆがめられることがあります。

例えば、こんなことが怖いなんて男として情けない、こんなことで喜んでいるなんてしょうもない、といったように自分の本来の基本的情動ではなくゆがめられた2次的情動を自分の感情として認識することがあります。

こういったことによって、自分らしさ、というものが分からなくなり、どこか満たされない感覚や不安感がぬぐえないわけです。

そしてだからこそ、リーダーシップを求めているのは自分自身ということです。

まとめ

論理展開を随分簡単にしてしまったので、納得しづらい部分もあるかもしれませんが、本書ではもっと丁寧に説明があり、初めて読んだときに、生きていく土台をつくってもらった感覚がありました。
何度読み返しても発見がある、バイブルです。強くお薦めします。

また、リーダーシップは本質的には組織が期待しているものではなく、各自が求めているという立場に立ち、リーダーシップ開発を行っていくことも重要かと思います