
イマドキの新人は背中を見て育つ? 〜「弱さを力に変える」という発想〜
こんにちは、ライターの山野です。
この4月、とある高校で新1年生向けに授業をさせてもらう
機会がありました。その中で企業の新人育成にもつながるヒントに
出会ったので、自分の気づきとともに書いてみたいと思います。
授業のテーマは「人間関係づくり」。3時間という時間の中で
身体を動かし、対話をしながら、お互いの共通点や、違いを
見つけていくという趣旨のものです。
気づけば、自分よりも10歳以上若い高校生のエネルギー、
そして素直さに助けられながら、一緒に3時間を楽しむことが
できたなと思う反面、
生徒の声、表情を感じ取りながら、同じ目線に立って
授業のメッセージを言葉にしていく過程には難しさもあり、
生徒への問いかけに一瞬の迷いが出たり、話が長くなったり、
反省すべき点も多々ありました。
そんな中、一緒に授業をサポートしてくれたある人から
後日こんな言葉をかけられました。
細かい点は、これから修正していくにしても
「山野くんらしさ」が出てたのが、何よりじゃないかな。もちろん一瞬の迷いとかが、生徒や場の緊張感につながっていた
部分もあるけど、生徒にとっては、「あ、迷っていいんだ」
「いつも完璧じゃなくていいんだ」という安心感というか、
今回のテーマに対して「一緒に悩む」関係になっていた気がする。
これは自分への労いも込めて、その人が言われた言葉だと
思いますが、
客観的に見ると、弱さとか失敗が、生徒にとって
プラスになっている部分もあるかもしれないというのは、
一つの発見でした。(マイナス面もあるのですが…)
そして今回のこの気づき、企業の新人育成においても
もしかしたら通ずることがあるかもしれないと思います。
先輩たるもの、上司たるもの、先生たるもの?
完璧にやらねばならないとか、育成する側にも良い意味での
「責任感」があるのは良いことですが、
私を含め、妙に気合いを入れすぎて?
それが裏目に出ないようにすることも一方で大切ではないかと。
イマドキの新人は、優等生で合格点を取れば満足をする
失敗を過度に恐れるなど、色々言われるわけですが、
だからこそ先輩も時に失敗したり、迷う背中を見せていくことや、
自分が何かを間違った時に、それを認められる素直さを
持ち合わせること大事だったりするのかなと感じます。
(もちろん、緩急が大事であるという前提で)
そして理想を言うならば、「育成する」「育成される」という
関係を超えて、一緒に泥だらけになって、「育ち合う」関係を
模索していきたい。
これまで出会ってきた人の顔を、ぼんやり思い浮かべながら、
そんな決意と反省を胸に抱く、新年度4月であります。
■プロフィール
山野 靖暁(yasuaki yamano)
1991年生まれ/大阪府出身
株式会社シェイクに新卒で入社後、研修開発やコンサルティング営業に従事、
多くの企業の人材育成、組織開発に携わり、株式会社NEWONEの創業期にも関わる。
シェイク退職後、イギリスの大学院シューマッハカレッジへの短期留学を経て、
2018年3月より島根県の隠岐郡海士町に、暮らしと仕事の拠点を移す。
地域や、海外をフィールドにした課題解決型学習のコーディネートなど、
高校、地域、行政、民間企業等と連携しながら教育の魅力化に取り組んでいる。
最近のテーマは「他者との関わりの中で、その人らしさが生まれる学びの場」