#コラム

「あこがれ」という傲慢さ 〜モノの見方について考える〜

こんにちは、山野です。
先日のことですが、とある企業さんを訪ねる機会がありました。

その企業はメディア事業を展開しながら、様々な商品を世に送り出している
とてもクリエイティブな組織で、

私自身、その企業のメディアはもちろん、経営者の本もたくさん読み漁る、
いわばファンみたいなものです。

今回ご縁がつながり、社長さんや、コンテンツをつくるチームの方々と
お話をさせて頂く機会があったのですが、もう良い歳なのにオフィスに
行く途中なんかは、遠足に行く前の小学生みたいな気持ちです。

自分が好きなコンテンツについて、その成り立ちや苦労などを伺いながら、
じっくり対話をさせてもらう時間は、非常に贅沢かつ濃密なもので、

一日が終わったときには、むしろぐったり疲れたと感じたくらいです。
(心地よい疲れではあったのですが)

そして、その場に一緒にいた人が、
「コンテンツづくりに対する誠実さ、熱量を感じました」
「どうやって、これを維持し続けていくんでしょうか」

と話す言葉に、うんうんと頷いたのは
もう夕方に近い時間だったでしょうか、最後の話の中で、
その企業の看板でもある社長さんは、こんなことを言いました。

社長「うちの会社は、けっこう“平熱”なんですよ」
私「・・・・」

社長さんは、その後も愉快に話を続けていくのですが、
私の中には、何かモヤモヤが引っかかっていました。
あくまで個人的な解釈が大いに含まれるのですが、
その社長さんが伝えかったのは、コンテンツづくりに対しての熱量は
もちろん大切で、それを保ち続ける姿勢は大いにあるけれど、

常に100%の状態であると答えるなら、それは嘘になってしまう
ということだったと思います。そういうニュアンスで「平熱」という
言葉を丁寧に選んで、答えられたのではないかと。

その会社であり、社長さんに対して「あこがれ」が強いからこそ、
どうしてもそのイメージの中で、すべてを見ようとしてしまう、
もしくは、自分の中にあるイメージに相手を近づけようとしてしまう。

人間だから仕方ないけれど、なんだか自分がとても強引で、
傲慢だなと思ったことが、モヤモヤの正体だったかもしれません。

誰かにあこがれることは、悪いことではなく、
ときに幻滅することも含め、それが人生?かと思いますが、

あこがれが、傲慢さに形を変えてしまったり、ありのままのその人を
見るということを難しくさせてしまうことがあるということは、
心に留めておきたいと思います。

さて、そんなことを書きながら、結果的にその会社であり、
社長さんをもっと知りたいなと思う気持ちになっている自分がいて、
気持ちは複雑、人生は難解なわけですが、

今日も一日、一歩ずつ頑張っていきたいと思います。

 


■プロフィール
山野 靖暁(yasuaki yamano)
1991年生まれ/大阪府出身
株式会社シェイクに新卒で入社後、研修開発やコンサルティング営業に従事、
多くの企業の人材育成、組織開発に携わり、株式会社NEWONEの創業期にも関わる。
シェイク退職後、イギリスの大学院シューマッハカレッジへの短期留学を経て、
2018年3月より島根県の隠岐郡海士町に、暮らしと仕事の拠点を移す。
地域や、海外をフィールドにした課題解決型学習のコーディネートなど、
高校、地域、行政、民間企業等と連携しながら教育の魅力化に取り組んでいる。
最近のテーマは「他者との関わりの中で、その人らしさが生まれる学びの場」