「決め手に欠ける」という話 〜20代のキャリア論として〜

こんにちは、ライターの山野です。
今回は、キャリアや、選択についてのことを
書いてみたいと思います。

もうすぐ27歳になる、そんなお年頃のせいもあるのか、
ここ1年くらい「決め手」という言葉によく出会いました。

「次に進もうと思った決め手は、何だったんですか?」
「結婚の決め手は?」(私は独身ですが)
「弊社(他社様)に発注した決め手は?」

自分も含めて、つい聞いてみたくなる
フレーズなのかもしれません。

そして、これは日々のらりくらりとやっている
私の習性というか、言い訳にも近いかもしれませんが、

実はこのフレーズの受け応え、あまり得意じゃないんです。
自分も聞いておきながら、ごめんなさい

なぜなんだろうと考えている中で、ふと思ったのは、
「結局、決め手なんてない」ことが多いからです。
(あくまで、私の主観ですが)

もう少し付け加えるなら、決め手を満たす選択は、
他にもあったかもしれないという、疑問というか心残りは
どこか拭われないという感覚にも近いでしょうか。

けれど、決め手がないなんて、カッコ悪い感じもするので、
いざ問われた時には、自分の中にあるいくつかの持ち玉から、
相手に合わせて言葉を選び、「いわゆる、決め手」を
話してみるわけです。
自分の中では、腑に落ちたような、落ちないような
感覚を、その時々で持ちながら。

でも、ふと、それでいいんだと、最近思うようになりました。

つまり、決め手に欠けていいし、
自分の中に「決め手の持ち球」はいくつか持っていた方が
もしかすると人生は、楽しいかもしれない。

というのも、例えば転職にしても、はたまた結婚にしても、
決めることはゴールではなく、何かのスタートに過ぎないと
思うからです。

そして自分も、他者も、環境も、時間の経過とともに、
変わってゆくものだからこそ、

むしろ、何かを決めた後に「本当の決め手」であり、
そのタイミングでの、決め手を丁寧に見つめながら
確かめていく努力の方が、大切なんじゃないかと思います。
(だから、持ち球は1つではない方が安心です。笑)

とはいえ、日々色んな情報や選択肢が流れてくる、
このご時世、確かめる努力というか、一手間をついサボって、
目移りをしてしまう。

そんな煩悩を持つのも、人間らしさなのかもしれません、
なんて書き出すと、元も子もないですが、

詰まるところ、今日書いてみたかったのは、
「まあ、決め手に欠けてもいいんじゃないでしょうか?」

そんなお話というか、投げかけだった訳です。

 


■プロフィール
山野 靖暁(yasuaki yamano)
1991年生まれ/大阪府出身
株式会社シェイクに新卒で入社後、研修開発やコンサルティング営業に従事、
多くの企業の人材育成、組織開発に携わり、株式会社NEWONEの創業期にも関わる。
2018年1月シェイク退職後、現在はイギリスの大学院シューマッハカレッジに留学、
多様性(ダイバーシティ)の中での、コミュニケーション、コラボレーションの
在り方やプロセス設計について、世界各地から集まる学生と探究をしている。

 

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